【大和守安定】凄腕の剣士たちが信じる確かな性能

大和守安定(やまとのかみ やすさだ)は、新選組一番隊組長・沖田総司や、同じく新選組隊士・大石鍬次郎、幕臣・伊庭八郎らが愛用したことで有名です。

大和守安定はいつ頃の時代に生きた、どんな刀工?

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大和守安定は、江戸時代に活躍した武蔵国の刀工です。
寛政九年(1797年)に刊行された刀剣評価書「懐宝剣尺(かいほうけんじゃく)」の中で「良業物」に分類された、切れ味鋭い戦闘向きな作刀で、幕末の剣士たちに大人気でした。
なぜか虎徹に似た作風だったそうな。

ちなみに彼が刀工として活躍していた武蔵国は、現在でいう埼玉県・東京都・神奈川県にまたがる一帯で、武州とも呼ばれていました。
この地域にある多摩は、新選組の中核を担った試衛館の面々の出身地としても有名です。

「懐宝剣尺」の著者、山田浅右衛門とは?

「懐宝剣尺」を記したのは、山田浅右衛門という浪人でした。
山田浅右衛門は幕府の命を受けて、試し斬りや死刑執行を行う御様御用(おためしごよう)という仕事をしていて、「首切り浅右衛門」「人斬り浅右衛門」などと呼ばれることもありました。

もともと御様御用は歴とした幕府のお役目だったのですが、人を斬るには大変な腕が必要だったため、世襲制では技術が水準に満たない者が出る可能性を危惧して、あえて浪人のまま留まったといいます。
実際、当主に男子がいてもその子が跡取りとは限らず、たくさん取った弟子の中から後継者を選んでいたんだとか。

「懐宝剣尺」は、そうした試し斬りの仕事の結果をまとめた刀工評価書で、良く切れるものから

  • 最上大業物13工
  • 大業物21工
  • 良業物50工
  • 業物80工
  • 大業物・良業物・業物混合65工

と計228工もの刀工を、上記5種類に分類して評価しています。

大和守安定の所有者たち

新選組一番隊組長・沖田総司

新選組最強とも言われた沖田総司が、この大和守安定を佩用していました。
近藤勇そっくりの剣を使い、掛け声までもが似ていたと伝え残るほど勇を慕っていた総司は、使う刀までも勇の愛刀「虎徹」に似た刀を好んだのでしょうか。

新選組隊士・大石鍬次郎

新選組で主に暗殺の任務を請け負い、「人斬り鍬次郎」と恐れられていた大石鍬次郎の愛刀も大和守安定でした。
甲州勝沼の戦い後、隊から失踪したものの新政府軍に捕らえられ、明治3年10月10日、油小路での伊東甲子太郎暗殺の実行犯として、斬首刑に処されています。

幕臣・伊庭八郎

幕末、隻腕の剣豪として名を馳せた伊庭八郎の愛刀も大和守安定でした。

「伊庭の小天狗」や「伊庭の麒麟児」という異名を取った幼少期を過ぎて幕臣となり、将軍の親衛隊を務めたり、教授方として幕臣師弟の武術指導を務めたりしていましたが、幕末の動乱期を迎えると、その腕を見込まれてか実戦部隊へと配置され、激戦の中、左腕を失いました。
それでも伊庭は戦い続け、北海道まで転戦し、隻腕の身で遊撃隊を指揮して奮戦。
しかし、木古内の戦いで胸部に被弾してこれが致命傷となり、榎本武揚の差し出したモルヒネを飲んで自害しました。
強靭な精神の持ち主で、腕を無くしても、胸に弾を受けても、最期まで一言も「痛い」とは言わなかったそうです。

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