【小狐丸】夢のお告げと狐の相槌!?

小狐丸が作られたのは平安時代、一条天皇の御代だと言われています。

小狐丸は誰がいつ頃作った刀か

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ある時、一条天皇は夢で「三条小鍛冶宗近に守り刀を打たせよ」というお告げを受け、さっそくそれを宗近に命じました。

けれど、勅命を受けた当の宗近は国家鎮護の太刀を打つという大仕事を前に
「その刀の相槌を打つに足る弟子が、自分にはいない」
と悩み、三条の相槌稲荷神社に大願成就を祈願します。

すると、宗近の前にどこからともなく不思議な童子が現れて「大丈夫、できる」と言ったそうです。

そして宗近が屋敷に戻ると、そこに相槌稲荷からの使いの狐がやって来て、御剣の相槌を打ってくれたと言います。

狐のおかげで見事完成した太刀に、宗近は表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐」の銘を切ったと言われています。

安倍晴明が活躍した時代

小狐丸誕生の伝承は、夢で神のお告げがあったり、お稲荷さんの遣いの狐が刀鍛冶の手伝いをしてくれたりと、ずいぶんファンタジックです。
同じころに書かれた紫式部の源氏物語でも、物語の中で普通に生霊や死霊が登場していますね。
この時代は、神や呪い、霊といったものが当たり前に存在すると考えられていた時代だったようです。

かの天才陰陽師・安倍晴明が活躍していたのもこの時代です。
一条天皇の御代の頃には、晴明は70~80歳代になっていますが、それでも彼の能力は健在で、一条天皇が急な病に倒れた時に晴明が祈祷するとたちまち病気が平癒したり、干ばつが続いた時に祈祷をして見事雨を降らせたりしています。
また、晴明自身が白狐の子では、という説もありますね。

安倍晴明が主人公の少女マンガ
「王都妖(あやかし)奇譚 」

孤独や葛藤を抱える天才陰陽師・安倍晴明が、明るくまっすぐな男、藤原将之と出会って友情を築いていく中で、少しずつ変化していく物語です。少女マンガなのに、男同士の友情がメインというちょっと変わったストーリーなのですが、ちゃんと女子が喜ぶツボを押さえて描かれた傑作です。

五条国永が三条宗近の弟子だったという説について

鶴丸国永の作者で知られる国永が、宗近の弟子であったという説があります。
ただ、国永ほどの弟子が宗近にいたのなら、そもそも「相槌を打てる弟子が居ない」と宗近が悩むこともなさそうなものですが、どうなのでしょうか。

ふたりが活動したとされる時期も、師弟の間柄を結ぶにしては微妙にズレていますし、個人的にはこの説は結構怪しいんじゃないかなという気がしています。
(三条宗近の活動期間は10世紀後半~11世紀前半、五条国永の活動期間は11世紀後半から12世紀前半と言われています)
もちろん、国永も最初から名匠だったわけではないでしょう。宗近が小狐丸を鍛えたその時期に国永の腕がまだ未熟だったという可能性もありますから、一概には判断できません。
宗近にはその活動期間が12世紀だったとする説もあるので、それなら国永を弟子にすることも可能です。
ただ、宗近が12世紀の人間なら、どう考えても一条天皇の命で刀を打つことはできないはずですから、今度はこの小狐丸誕生の伝説がありえないものとなってしまいますね。

小狐丸の名を持つ複数の太刀と、その行方

実は、三条宗近が鍛えたとされる小狐丸は現在行方が分からなくなっています。
しかし、同名の太刀の伝承がいくつか残っていて、そのうちの2本は現存されています。

現存する小狐丸その1 石上神宮「小狐丸」

石上神宮のホームページに、小狐丸が写真付きで紹介されています。
一条天皇の命により宗近が打った刀…と、小狐丸誕生の物語も併せて紹介されていますが、この太刀は鎌倉時代の古備前物で、銘も「義憲作」と切られているようです。

現存する小狐丸その2 石切剣箭神社「小狐丸」

石切剣箭神社にも小狐丸の名を持つ刀が伝わっています。
こちらは期間限定で一般公開されるそうですが、実物を見てきた人の話によると、銘は宗近となっているものの、脇差サイズなんだとか。
ただ、この刀は折り返し銘という作業がなされているそうで、元はもっと長かった―――つまり、元は太刀だったのかも、という説があります。
それであれば、これが一条天皇の命によって宗近と狐によって打たれた小狐丸である可能性もあるかもしれません。

歴史の波に消えた小狐丸を、川中島の戦いで帯びていた武将がいた?!

「図解・日本刀大全」の中で作家の永岡慶之助氏が紹介するエピソードに、以下のようなものがあります。

永禄4年(1561年)9月10日、川中島の戦いの第四次合戦において、武田信玄直属の兵である小笠原若狭守長詮(おがさわらわかさのかみながあきら)が小狐丸を帯びて出陣しました。
激闘の中、長詮はなんとか生き延びたものの、小狐丸は所在不明に。

しかし戦が終わった後、地域の人々によって戦没者の亡骸や武具が埋められ、所々に塚が建てられると、妙なことが起こるようになりました。
ひとつの塚に夜毎、狐が何匹も集まってくるのです。
不思議に思った里の人々が塚を掘り返した見たところ、そこからたくさんの人骨に紛れて、小狐丸が姿を現したそうです。

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